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บาลีธันเดอร์
PALI THUNDER

仏弟子伝 · 学びを愛すること第一

ラーフラ長老

仏陀の子にして、学びを愛すること第一

仏教における最初の沙弥。七歳のとき、王位に代えて聖なる財を受けた。そして出家の日から毎朝、手いっぱいの砂を掬い、今日はこの砂粒ほどの教誡を得ますようにと願いつづけた。

タイ語の読みやすい版からの翻訳です。

物語を読む
七歳のラーフラ王子が王族の装いで、カピラヴァットゥ郊外の土の道を世尊の衣の端をつかんで歩いている

物語を始める前に

仏陀の御子を、学びを愛すること第一たらしめたものは何か

ラーフラ(Rāhula)は、世尊がまだシッダッタ太子であられた頃の御子であり、仏教における最初の沙弥である。七歳で出家した。その日、母に言われたとおり遺産を求めに行き、王位よりも勝れたものを受けて帰ってきたのである。

彼の生涯は、幼い頃から大人になるまで毎日教えを受けつづけた人の生涯である。世尊が彼ひとりのために説かれた経はいくつもある。七歳のときに説かれたもの、十八歳のときに説かれたもの、そして解脱を熟させる法がちょうど成熟したその日に説かれたものがある。

のちに彼が得た称号は、学びを愛することにおいて比丘たちの第一というものであった。そして註釈がその理由として挙げるのはただ一つ、出家の日から毎朝くり返した行いだけである。

目次 18 章
第 1章

出家の夜に授かった名

第 1 出家の夜に授かった名
第 1 · 出家の夜に授かった名

その知らせが届いた日、シッダッタ太子はまさに城へ入ろうとしていた。

ジャータカ註釈は語る。スッドーダナ大王はラーフラの母が御子を産んだと聞き、使いを遣わして「わが喜びを息子に伝えよ」と仰せられた。

菩薩はその知らせを聞いて、一句を口にされた。

「ラーフラが生まれた、繋縛が生まれた」

使いはその言葉を持ち帰って奏上した。王は「わが子は何と言ったか」と問い、それを聞くとこう仰せられた。

「今日より、わが孫の名はラーフラ王子とせよ」

祖父は、息子がその折に口にした言葉をそのまま孫の名とされた。こうしてこの王子は、生まれた最初の日から「繋縛」を意味する名を持つことになった。しかもその名を最初に口にしたのは、父その人であった。

まさにその夜、菩薩は出家を決意された。註釈によれば、チャンナに馬の支度を命じたのち、まず子を見ておこうと思われ、座を立ってラーフラの母の寝室へ行き、戸を開けられた。

室内では、香油を満たした灯がなお燃えていた。ラーフラの母は深く眠り、片手を御子の頭に置いていた。臥床にはジャスミンの花が散り敷かれていた。

菩薩はそこに立ち、片足を敷居に置いたまま、中へは入られなかった。註釈はそのときの思いをこう記している。もし妃の手をどけて子を抱き上げれば妃は目を覚ますであろう。そうなれば、この出立に障りが生じる、と。

「たとえ仏となった後であっても、わたしは子に会いに来ることができる」

そう思われただけで、宮殿を下りて行かれた。

なお、この註釈自身が記していることだが、その夜ラーフラ王子は生後七日であったという説は、ジャータカ註釈にはあるが他の註釈には見えない。

王子は、その夜自分の部屋で何があったかを知らなかった。そして父が敷居の上で立てたその思いは、七年後に現実となる。

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第 2章

はじめて父の前に立った日

第 2 はじめて父の前に立った日
第 2 · はじめて父の前に立った日

六年の求道を経て、成道からほどなく、世尊は王舎城に思うままに住まわれたのち、カピラヴァットゥへと遊行され、着いてニグローダ園に住まわれた。

ある朝、鉢と衣を持ってスッドーダナ釈迦族の王宮に入り、設けられた座に坐された。

その王宮には、まだ一度も父を見たことのない七歳の子がいた。

律蔵は母の言葉をもっとも短い形で記している。

「ラーフラよ、あの沙門はそなたの父です。行って遺産を求めなさい」

ラーフラ王子は母の言葉のとおり世尊のもとへ行き、御前に立って、最初にこう言った。

「沙門よ、あなたの影は安楽です」

この子は王位を求めるために遣わされた。しかし実際に御前に立ったとき最初に口から出たのは、その木陰を讃える言葉であった。

律蔵には世尊が何とお答えになったかの記述はない。ただ、世尊は座から立って帰られた、とあるだけである。

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第 3章

どこまでもついて行った子

第 3 どこまでもついて行った子
第 3 · どこまでもついて行った子

世尊が王宮を出られると、ラーフラ王子はそのすぐ後ろについて行った。

その道中、子はただ一つのことだけを言いつづけた。

「沙門よ、わたしに遺産をお与えください。沙門よ、わたしに遺産をお与えください」

アンバラッティカ・ラーフローヴァーダ経の註釈は、同じ場面にもう一つ加えている。当時ラーフラは七歳であり、世尊の衣の端をつかんだまま求めていた、と。

一行は王宮の域を出て、道を進み、ニグローダ園に至るまで、子は口をやめなかった。誰一人として彼を止めることはできなかった。

世尊はまだ一言もお答えになっていない。

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第 4章

聖なる財

第 4 聖なる財
第 4 · 聖なる財

精舎に着かれると、世尊はサーリプッタ尊者を呼んで、一言だけ仰せられた。

「サーリプッタよ、それならば、そなたがラーフラ王子を出家させよ」

この一言に、法将は問い返さざるをえなかった。当時はまだ、子どもを出家させる方法がなかったからである。

「世尊、わたくしはどのようにしてラーフラ王子を出家させればよいのでしょうか」

世尊はその因縁について法話をなさり、そして比丘たちに仰せられた。三帰依によって善男子を沙弥として出家させることを許す、と。それから作法の一切を定められた。まず髪と鬚を剃らせ、袈裟を着けさせ、一肩を偏袒にし、比丘たちの足を礼させ、跪いて合掌させ、そして次のように唱えさせる。

ブッダン サラナン ガッチャーミ(Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi)——わたしは仏に帰依します
ダンマン サラナン ガッチャーミ(Dhammaṃ saraṇaṃ gacchāmi)——わたしは法に帰依します
サンガン サラナン ガッチャーミ(Saṅghaṃ saraṇaṃ gacchāmi)——わたしは僧に帰依します

これを三度くり返す。

律蔵はこの一段を短い一文で結んでいる。そのとき、サーリプッタ尊者はラーフラ王子を出家させた、と。

教団が今日まで用いている沙弥出家の作法は、一人の子が遺産を求めてついて来たがゆえに、その日の午後に生まれた。そしてその子自身が、この作法によって出家した最初の沙弥である。

編纂された伝記は世尊の御心をこう説明する。ラーフラ王子が望んだ財は、輪廻の中を流転させる類のものである。ゆえに代わりに聖なる財をお与えになった、と。

三蔵そのものには、何の説明もない。あるのは一言の命と、ただちに生じた結果だけである。

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第 5章

祖父が願った恩恵

第 5 祖父が願った恩恵
第 5 · 祖父が願った恩恵

その知らせは同じ日のうちに王宮に届いた。

スッドーダナ釈迦族は世尊のもとへ行き、礼をして一方に坐し、一つの恩恵を願い出た。

世尊は、如来たちは恩恵を与えることを超えている、とお答えになった。

王は、わたくしが願うのは適切で咎のないものです、と申し上げた。

述べることを許され、王は長年胸に納めてきたことを口にした。

「世尊が出家されたとき、わたくしには量りしれぬ憂いが生じました。ナンダが出家したときも同じでした。そしてラーフラが出家したとき、憂いはさらに大きくなりました、世尊。子への愛は皮を切り、皮を切ってはさらに肉皮を切り、肉を切り、腱を切り、骨を切り、髄に触れてとどまります」

そうしてその恩恵を願った。

「世尊、どうかお許しください。今より後、父母がまだ許していない子には、尊者がたが出家をお授けにならぬように」

世尊は法話をもって王に開示し、勧め、励まし、喜ばせられた。王は立ち上がり、礼をし、右繞して帰って行った。そののち世尊は、父母の許しを得ていない善男子を比丘は出家させてはならない、と制定された。

孫を失ったがゆえに祖父が願ったその恩恵は、その日から、あらゆる家の父母を守る定めとなった。

この沙弥のゆえに、さらに小さな出来事が二つ続いた。一つは、護持する家がもう一人の男児をサーリプッタ尊者のもとへ出家させるために送ってきたことである。尊者は考えた。世尊は一人の比丘が二人の沙弥を侍者とすることを許しておられない。そしてわたしにはすでに沙弥ラーフラがいる。ではどうすべきか、と。そこで世尊は、賢く能力のある比丘は、自分が教誡し訓導できるだけの人数の沙弥を受けてよい、と許された。

もう一つは、沙弥たちに疑いが生じたことである。わたしたちの学処はいくつあるのか、わたしたちは何を学ぶべきなのか、と。そこで世尊は沙弥のために十戒を許された。

最初の沙弥は、こうして「学ぶ」とは何かをまだ知らない年齢で、和尚も、学ぶべき行儀も、ともに得たのである。

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第 6章

七歳の子への十の問い

第 6 七歳の子への十の問い
第 6 · 七歳の子への十の問い

註釈は語る。出家ののち、世尊はこう思われた。子どもというものは言うべきことも言うべきでないことも口にする。ラーフラに教誡を与えよう、と。そして彼を呼び、沙弥は畜生論を語るべきではない、語るならばこのように語りなさい、と仰せられた。

そして十の問いを立てて憶えさせられた。一から十まで数え、それぞれの数にあたる法の項目が答えとなっている。

一とは何か。一切の衆生は食によって存する
二とは何か。名と色
三とは何か。三受
四とは何か。四聖諦
五とは何か。五取蘊
六とは何か。六内処
七とは何か。七覚支
八とは何か。八支聖道
九とは何か。九衆生居
十とは何か。十支を具えた者は阿羅漢と呼ばれる

三蔵はこの一段を小誦経に収め、沙弥の問い(サーマネーラ・パンハー)と題している。

七歳の子に対して世尊が選ばれた方法は、話すことを禁じることではなく、話すに値するものを代わりに与えることであった。しかもそれは数えられ、暗誦でき、今日は幾つ得られたかと自分で確かめられるものであった。

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第 7章

器の底に残った少しの水

第 7 器の底に残った少しの水
第 7 · 器の底に残った少しの水

のちに世尊は王舎城の竹林精舎に住まわれ、ラーフラ尊者はアンバラッティカという住処にいた。註釈は、それは静けさを求める者のために竹林の奥に建てられた小さな家である、と説明する。そのとき沙弥ラーフラは七歳であった。

ある夕方、世尊は宴坐から出て、その住処へ入られた。

ラーフラ尊者は遠くから世尊が来られるのを見て、座を設け、足を洗う水を用意した。註釈はここに小さな一事を記している。そこには常のとおり座がすでに敷かれていたが、ラーフラはそれを払ってから設けた、と。

世尊は座に坐して足を洗われた。ラーフラ尊者は礼をして一方に坐した。

世尊は残った水を捨てず、器に少しの水を残して、こう問われた。

「ラーフラよ、この水器に少し残っている水が見えるか」
「見えます、世尊」
「ラーフラよ、知りながら偽りを語って恥じない者の沙門法も、これと同じく少ないのだ」

それから、その少しの水を捨て、わたしが捨てた水が見えるかと問われた。見えますと答えると、そのような者の沙門法も同じく捨てられたものである、と仰せられた。

次に水器を伏せ、この伏せられた器が見えるかと問われた。見えますと答えると、そのような者の沙門法も同じく伏せられたものである、と仰せられた。

それから器を起こされた。

「ラーフラよ、この空の水器が見えるか」
「見えます、世尊」
「ラーフラよ、知りながら偽りを語って恥じない者の沙門法も、これと同じく空なのだ」

註釈はこの譬えを挙げられた理由をはっきり述べている。子どもというものは愛らしい言葉で偽りを語り、見ていないものを見たと言い、見たものを見ていないと言う。ラーフラに教誡を与えよう、と思われたのである。そして、目で見るだけで分かる方法を選ばれた。

その午後に用いられたものは、足を洗う水器ただ一つであった。

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第 8章

まだ鼻を守っている戦象

第 8 まだ鼻を守っている戦象
第 8 · まだ鼻を守っている戦象

水器から、世尊は王族の子ならば必ず知っている姿へと移られた。戦象である。

「ラーフラよ、たとえば王の象で、牙は轅のように長く、まことに優れた乗り物であり、生まれよく、戦場に慣れた象がいるとしよう」

そのような象は戦場に入ると、前足で働き、後足で働き、体の前で、体の後で、頭で、両耳で、両牙で、尾で働く。しかし鼻だけは守っている。

象がそのように鼻を守っているのを見て、象使いは知る。この象はまだ命を捨てていない、と。

しかしその象が鼻でも働くようになったとき、象使いはただちに知る。この王の象は命を捨てた。今やこの象になしえぬことは何もない、と。

「ラーフラよ、まさしく同じように、知りながら偽りを語って恥じない者には、なさない悪はないと、わたしは説く」

そして、この子に受持させたい一条をお与えになった。

「それゆえラーフラよ、そなたはこのように学ぶべきである。たとえ戯れであっても偽りを語るまい、と。ラーフラよ、そのように学びなさい」

この一条が防いでいるのは、身を守るための嘘だけではない。おもしろさから出る偽りまで防いでいる。そしてそれこそが、その年齢の子が実際に口にする類のものなのである。

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第 9章

鏡は何のためにあるか

第 9 鏡は何のためにあるか
第 9 · 鏡は何のためにあるか

その一条を定められたのち、世尊は前の話とはまるで関わりのないように見える問いを発された。

「ラーフラよ、どう思うか。鏡は何のためにあるのか」
「映し見るためです、世尊」
「まさしくそのように、ラーフラよ。身の業も、語の業も、意の業も、よく省みてから行うべきである」

そして世尊はそれを実際の用い方へと展開された。身業・語業・意業のいずれにも、同じ三つの時がある。

行う前に、わたしが行おうとするこの業は、自らを害するか、他を害するか、両者を害するか、と省みる。もしそうであれば、その業は決して行ってはならない。そうでなければ、行ってよい。

行っている最中にも、同じように省みる。害となると知れば、やめるべきである。害とならないと知れば、続けてよい。

行い終わってからも、もう一度省みる。その業が害となったと知れば、師の前で、あるいは知ある同梵行者の前で発露し、あらわし、明らかにして、以後つつしむ。害とならなかったと知れば、喜びと歓喜をもって、昼も夜も善法において学ぶべきである。

経の終わりに、世尊はこの方法が一人の子のために設けられたのではないことを示された。

「ラーフラよ、過去において身業・語業・意業を清めた沙門・婆羅門があれば、その一切はまさにこのようにくり返し省みてから、身業・語業・意業を清めたのである」

未来においても現在においても、まったく同様である。そして受持すべき結論を説かれた。

「それゆえラーフラよ、そなたはこのように学ぶべきである。わたしはくり返し省みて、身業・語業・意業を清めよう、と」

この経は、ラーフラ尊者が世尊の説を喜び随喜したところで終わる。そのとき彼は七歳であった。

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第 10章

沙弥に寝る場所がなかった夜

第 10 沙弥に寝る場所がなかった夜
第 10 · 沙弥に寝る場所がなかった夜

年月ののち、アーラヴィーで一つの出来事があった。夜遅くまで法を聞いた晩、長老たちはそれぞれの住処に帰り、新参の比丘たちは在家者たちとともに講堂で寝た。その寝方に慎みがなく、在家者たちは非難し、そしった。

世尊はそれを知って学処を制定された。いかなる比丘であれ、未受具の者と同じ屋根の下に臥せば波逸提である、と。

のちに世尊はアーラヴィーからコーサンビーへ遊行し、バダリカ園に住まわれた。そこで比丘たちは沙弥ラーフラに言った。

「ラーフラ友よ、世尊は学処を制定された。比丘は未受具の者と同じ屋根の下に臥してはならない、と。ラーフラ友よ、寝る場所を自分で見つけなさい」

沙弥はまだ比丘ではない。つまり、彼が入って寝られる房はもう一つも残っていなかった。

律蔵は、その夜彼がしたことを一文で記している。

「その日、沙弥ラーフラは寝る場所を得られず、厠の中で臥した」

彼は誰も責めなかった。訴えに行かなかった。助けを求めて誰かを起こすこともしなかった。

明け方近く、世尊は起き上がって厠へ行かれ、着くと合図として咳払いをされた。

中から咳で応える声があった。

「この厠にいるのは誰か」
「わたくしラーフラでございます、世尊」
「ラーフラよ、なぜここで臥しているのか」

沙弥は一部始終を申し上げた。

その朝、世尊は法話をなさり、そして比丘たちに仰せられた。未受具の者と同じ屋根の下に二、三夜臥することを許す、と。そして学処を改めて制定された。いかなる比丘であれ、未受具の者と同じ屋根の下に二、三夜を超えて臥せば波逸提である、と。

この学処が緩められたのは、一人の子が一言も不平を言わずに厠で寝ることを厭わなかったからである。

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第 11章

くり返し説かれた教誡

第 11 くり返し説かれた教誡
第 11 · くり返し説かれた教誡

スッタニパータに、ラーフラ経という短い経がある。世尊が彼に向けられた問いから始まる。

「そなたは常に共に住むがゆえに、賢者を軽んじてはいないか。人々のために炬火をかかげる者を、そなたは敬っているか」

註釈は、ここでいう賢者とはサーリプッタ尊者を指す、と説明する。そしてこう問われた理由は、この子が高貴な生まれであり、生まれ・姓・家柄・容色によって慢を起こしかねないと見られたからである、と。

ラーフラ尊者はこう答えた。

「わたしは常に共に住むがゆえに賢者を軽んじることはありません。人々のために炬火をかかげる者を、わたしは常に敬っています」

それから世尊は行うべきことを次々に説かれた。愛らしく喜ばしい五欲の対象を捨てること。善き友と交わること。喧噪を離れた静かな坐臥処に親しむこと。食に量を知ること。衣・食・坐臥処・資具に渇望を起こさないこと。波羅提木叉と諸根において守ること。身において念をとどめること。貪りを生じさせる浄相を避けること。不浄観において心を一つに定めること。そして最後の一条に至る。

「慢の随眠を捨てよ。しかるのち、慢を捨てたがゆえに、そなたは寂静にして行くであろう」

経の末尾にアーナンダ尊者が記した一文は、偈そのものにはない事実を伝えている。

「かくのごとく、世尊はこれらの偈をもってラーフラ尊者をくり返し教誡された、と伝えられる」

つまり、一度説いて終わりではなく、そのようにくり返し説かれつづけたのである。

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第 12章

手いっぱいの砂

第 12 手いっぱいの砂
第 12 · 手いっぱいの砂

同じ頃、彼自身が日課としていたことを、註釈は二つの形で記している。

エータダッガ品の註釈は語る。長老は出家の日から、夜明けとともに起きて、手いっぱいに砂を掬い、こう願を立てた。

「ああ、願わくは——わたしは今日、十力の世尊より、また和尚・阿闍梨がたより、これほどの量の教誡と訓示を得ますように」

マハーラーフローヴァーダ経の註釈は同じことを別の絵で語る。彼は夜明けに香室のあたりに鉢一杯ほどの砂を撒き、今日わたしは正等覚者のもとから、また和尚のもとから、これほどの教誡を、これほどの誡めを得よう、と思った、と。

二つの伝えは一点で完全に一致している。彼は欲しいものを砂粒の数で数えたのであって、条目の数で数えたのではない。

註釈はその習慣の結果も記している。ラーフラ尊者は方軌に巧みであり、世尊が「これは行うべきでない」と説かれると、「これは行うべきである、これは行うべきでない」という百千の道理を通達した。「これは行うべきである」と説かれたときも同様であった、と。

毎朝、砂粒ほどの数の教誡を求める者は、一つの教えの中に百の意味を聞き取るのである。

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第 13章

十八歳、そして「わたしもまた美しい」という思い

第 13 十八歳、そして「わたしもまた美しい」という思い
第 13 · 十八歳、そして「わたしもまた美しい」という思い

ある朝、サーヴァッティーの祇園精舎で、世尊は鉢と衣を持って乞食に入られた。ラーフラ尊者も鉢と衣を持って、そのすぐ後ろに従った。そのとき彼は十八歳の沙弥であった。

註釈は、共に歩む二人の姿を非常に長く描いている。世尊を最上の象に、ラーフラを後に従う仔象に喩え、世尊を洞を出る獅子王に、彼を追う仔獅子に喩え、世尊を山から飛び立つ黄金の鵞王に、彼を後を飛ぶ仔鵞に喩える。二人は同じ王統に生まれ、ともに王位を捨て、ともに黄金のような肌の色を具えていた。

まさにそのとき、ラーフラ尊者は如来を足の裏から髪の先まで見上げた。

註釈は語る。その荘厳を見たのち、彼は自分自身をも見て、こう思った。わたしもまた美しい。もし世尊が転輪聖王となられ、わたしに大将の位をお与えになったなら、この閻浮提はいっそう荘厳となるであろう、と。こうしてその道の途上で、自身の身体に依った貪りの喜びが彼に生じた。

前を歩まれる世尊はその思いを知られた。註釈によれば、清らかな水の中の魚を見るようにラーフラの心を見られ、これを放っておくべきではないと思われた。宝を満載した大船の板の裂け目から水が入るとき、船主は一瞬たりとも手をこまねいてはいられないように、と。

そこで世尊は立ち止まり、体ごと全身を振り返られた。註釈はその動きを、黄金の像が回るようであった、と喩えている。

三蔵はその道で説かれた言葉を記している。

「ラーフラよ、いかなる色であれ、過去・未来・現在のもの、内なるもの外なるもの、粗いもの細かいもの、劣ったもの勝れたもの、遠いもの近いもの、その一切の色を、正しい智慧によってあるがままにこう見るべきである。これはわたしのものではない、これはわたしではない、これはわたしの我ではない、と」

ラーフラ尊者はただちに問い返した。

「世尊、色だけでしょうか。善逝よ、色だけでしょうか」
「ラーフラよ、色もまた、受も、想も、行も、識もである」

註釈は、この問いそのものが彼の方軌の巧みさを示している、と指摘する。色について聞くや、ただちに受などについてはどうすべきかと考え進んだからである。

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第 14章

乞食に行かなかった日

第 14 乞食に行かなかった日
第 14 · 乞食に行かなかった日

道の途上でそのように教誡を受けたのち、ラーフラ尊者に一つの思いが起こった。

「今日、世尊から面前に教誡を受けた者が、いったい誰が村へ乞食に入るであろうか」

そこで彼はそこから引き返し、その日は村へ乞食に入らず、ある樹の根もとで結跏趺坐し、身をまっすぐに保ち、念を面前に確立して坐した。

世尊は彼が引き返すのを見られたが、呼び戻されなかった。註釈は理由を挙げる。今日ラーフラには、まず身至念という不死の食を味わわせよう、と思われたのである。

その朝、サーリプッタ尊者は自らの行儀にしたがって、すべての比丘の後から乞食に出た。註釈は語る。世尊と共に住むとき、長老は世尊が先に出られるのを待ち、それから住処を巡って、掃かれていないところを掃き、捨てられていない塵を捨て、飲み水のないところに水瓶を据え、病の比丘を見舞って何を持ってきましょうかと尋ね、まだ一雨安居を経ていない若い比丘たちを励ました。それらを終えてから、すべての比丘の最後に乞食へ出たのである、と。

その日、道すがら、長老は一本の樹の根もとに坐っているラーフラを見た。

長老は何があったかを尋ねなかったし、師がたった今、色の業処をお与えになったことも知らなかった。註釈は、長老は見たその坐相にふさわしい業処を与えたのだ、と言う。ラーフラが微動もせず座に安住して坐っていたからである。

「ラーフラ友よ、入出息念を修めなさい。入出息念は、修め、多く修めるならば、大果あり大功徳あるものです」

ラーフラ尊者はそのまま夕方まで坐り、それから宴坐を出て世尊のもとへ行き、礼をして一方に坐し、その朝に和尚から受け取った問いを申し上げた。

「世尊、入出息念はいかに修め、いかに多く修めるならば、大果あり大功徳あるものとなるのでしょうか」
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第 15章

大地のようであれ

第 15 大地のようであれ
第 15 · 大地のようであれ

世尊はただちに呼吸のことをお答えにならず、問う者自身の身体から始められた。

一つ一つ界を挙げられた。地界とは堅いものである。髪・毛・爪・歯・皮・肉・腱・骨・髄、さらには新旧の食物まで。水界とは潤うものである。胆汁・痰・膿・血・汗・涙・唾・鼻汁・関節の液。火界とは身を暖める火、身を老いさせる火、飲食したものを消化させる火。風界とは上に行く風、下に行く風、腹中の風、腸中の風、入出息。そして空界とは耳の孔、鼻の孔、口の孔、飲食を嚥む喉の孔である。

この五界はいずれも内にも外にもあり、内の界と外の界とは同じ一つの界にほかならない。それゆえ、どの界も同じ一句で結ばれる。

「その界を、正しい智慧によってあるがままにこう見るべきである。これはわたしのものではない、これはわたしではない、これはわたしの我ではない、と」

その朝に持ち主が美しいと讃えたその身体は、地・水・火・風・空へと解きほぐされ、そのどの一片も誰のものでもなかった。

それから世尊は、観察から心の修習へと移られた。

「ラーフラよ、大地のような修習を修めなさい。大地のような修習を修めるならば、生じた好ましい触も好ましくない触も、そなたの心を占めてとどまることはない」

理由は譬えの中にある。人々は清らかなものも清らかでないものも大地に捨てるが、大地はそれによって悩み、恥じ、厭うことがない。

水もまた同じである。人々は水で清らかなものも清らかでないものも洗うが、水は嫌がらない。火もまた同じで、清らかなものも清らかでないものも焼いて嫌がらない。風もまた同じで、清らかなものにも清らかでないものにも吹きつけて嫌がらない。

空については、別の理由を挙げられた。

「ラーフラよ、たとえば虚空はどこにも住しない。そのように、虚空のような修習を修めなさい」
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第 16章

最後の息までも、知られながら滅する

第 16 最後の息までも、知られながら滅する
第 16 · 最後の息までも、知られながら滅する

彼が問うた事柄への答えに至る前に、世尊はさらに六つの修習を立てられた。それぞれに、それが捨てさせるものが並べて説かれている。

ラーフラよ、慈を修めなさい。慈を修めるならば、瞋恚が捨てられる
悲を修めなさい。悲を修めるならば、害心が捨てられる
喜を修めなさい。喜を修めるならば、不楽が捨てられる
捨を修めなさい。捨を修めるならば、瞋恨が捨てられる
不浄観を修めなさい。不浄観を修めるならば、貪りが捨てられる
無常想を修めなさい。無常想を修めるならば、「われあり」の慢が捨てられる

この最後の一つは、その朝の彼の思いにもっとも正確に応えている。「われあり」の慢こそが、「わたしもまた美しい」という一句の根だからである。

そして入出息念に至る。十六の段に分けて説かれた。長い息を知り、短い息を知り、息の全身を覚知し、身行を安め、そのように受を通り、心を通って、無常を随観し、離貪を随観し、滅を随観し、捨遣を随観するに至る。どの段も、出る息においても入る息においても行われる。

この経を閉じる一句は、誰も忘れることのできないものである。

「ラーフラよ、入出息念をこのように修め、このように多く修めるならば、最後の入出息さえも、修める者に知られながら滅するのであって、知られぬままに滅するのではない」

朝に一人の若者が自らの美しさを喜んだために説き起こされた経は、一生の最後の一息において終わる。

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第 17章

アンダ林のある午後

第 17 アンダ林のある午後
第 17 · アンダ林のある午後

時は移り、彼が具足戒を受けられる年齢になった。和尚であるサーリプッタ尊者が具足戒を授け、マハーモッガッラーナ尊者が羯磨阿闍梨をつとめた。註釈は次の出来事を、彼が受戒して半安居を経た頃に置いている。

その日、世尊は祇園精舎に住まわれていた。独り静処に退いておられたとき、御心にこのような思いが起こった。

「ラーフラには解脱を熟させる法が成熟した。いざ、わたしはラーフラをさらに漏尽へと導こう」

その朝、世尊は常のとおり乞食に入られ、乞食から戻って食事を終えられたのち、彼に仰せられた。

「ラーフラよ、坐具を取りなさい。アンダ林へ行って昼を過ごそう」

ラーフラ尊者は、承知いたしました世尊、とお答えし、坐具を取って、そのすぐ後ろに従った——七歳のときからずっとそうしてきたように。

三蔵はまた、その日、数千の天人が世尊に従って行ったことも記している。今日、世尊がラーフラ尊者をさらに漏尽へと導かれると知ったからである。

アンダ林に着かれると、世尊は樹の根もとにラーフラが設けた座に坐された。ラーフラ尊者も礼をして一方に坐した。

その午後に問われたのは、同じ一組の問いを一つ一つにくり返すものであった。まず眼から始まる。

「ラーフラよ、どう思うか。眼は常か無常か」
「無常です、世尊」
「無常であるものは苦か楽か」
「苦です、世尊」
「無常であり、苦であり、変易する法であるものを、これはわたしのものである、これはわたしである、これはわたしの我である、と見るのはふさわしいか」
「ふさわしくありません、世尊」

続いて色について、眼識について、眼触について、また眼触を縁として生じる受・想・行・識について同じように問われ、さらに耳・鼻・舌・身・意を挙げて、同じ一組の問いで六処すべてを問い尽くされた。

問い尽くされたのち、結論を説かれた。多聞の聖弟子はこのように見て、眼を厭い、色を厭い、眼識を厭い、眼触を厭い、眼触を縁として生じる受・想・行・識をも厭う——六門すべてにおいてそうである、と。

「厭うがゆえに離貪し、離貪のゆえに解脱する。解脱したとき、解脱したという智が生じ、生は尽きた、梵行は成った、なすべきことはなされた、この上さらにこの状態に至ることはない、と知る」

この説示が語られている最中に、ラーフラ尊者の心は執着なくして諸漏から解脱した。

そして聴きに来ていた数千の天人には、塵を離れ垢を離れた法眼が生じた。およそ生起する性質のものは、すべて滅する性質のものである、と。

その午後、世尊が最初に取り上げて問われたその眼こそ、かつて如来を足の裏から髪の先まで見上げ、自らの色に喜びを起こしたその眼であった。

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第 18章

二つを具えた人

第 18 二つを具えた人
第 18 · 二つを具えた人

エータダッガ品において、世尊は彼を一つの位置に安立された。

「比丘たちよ、わが比丘の弟子のうち、学びを愛することにおいて第一の者はラーフラである」

註釈は「学びを愛する(sikkhākāma)」という語を、三学を愛する者の意である、と説明し、理由としてただ一つを挙げる。出家の日から毎朝の、あの手いっぱいの砂である。

註釈はまた、彼が僧団の中で自ら獅子吼したことも記している。わが父である法王は僧団の面前でわたしを第一に安立し、学びを愛する比丘たちの中の第一と称讃された。わが父である法王も、わが和尚であるサーリプッタも、そのすべては勝者の教えである、と。

そして師が幼い頃から自分を守り育ててくださったことについて、彼はこの偈を説いた。

「智慧あり戒を具えた如来は、鴫が卵を守るように、犛牛が尾を守るように、わたしを守ってくださった」

阿羅漢果を自ら記説したときの偈は、人々が彼を呼ぶその名から始まる。

「人々はわたしを賢者ラーフラと知る。二つのことを具えた者と——生の具足と行の具足とを。わたしは仏陀の子であり、また諸法を見る慧を具えた者であるがゆえに」

続けて彼は説く。衆生は盲人のごとくである。欲の患いを見ず、渇愛の網に覆われ、放逸という縛によって魔に縛られ、筌の口の魚のようである、と。そして最後の一行で自分自身について語る。

「その欲をわたしは抜き去った。魔の縛を断ち切った。渇愛を根ごと引き抜いた。わたしは清涼にして寂滅した」

この偈を説いた人こそ、生涯の最初の夜に「繋縛」を意味する名を授かった人であり、そしてあらゆる繋縛から彼を導き出したのは、その父その人であった。

編纂された伝記は、彼の最期をこう伝えている。彼は寿命を相応しいだけ保ったのち、三十三天の黄石座(パンドゥカンバラ石)において般涅槃した。そして、父である世尊よりも先に、和尚であるサーリプッタよりも先に、阿闍梨であるマハーモッガッラーナよりも先に入滅したがゆえに、その寿は長くはなかった、と。

ラーフラはこうして、仏陀からもっとも多くの教誡を受けた者の一人となった。七歳のときの足を洗う水器一つから、アンダ林のあの午後まで。そしてその全期間を通じて、彼は毎朝さらに手いっぱいの分を求めつづけたのである。

読み物 · 仏弟子伝

二つを具えた人